福島第1原子力発電所爆発による健康被害に関する疫学用語(ごく一部)の解説
 
 
スクリーニング効果
「検査をすれば患者が見つかる。検査の感度が高ければその分余計に患者が見つかる。検査をすればするほど有病率は高くなる」
 一般的に何らかの疾病に罹患した者は、その疾病による症状を呈して、その症状が不都合(不快)であるので(それを取り除くために、あるいは早く処置しないと取り返しの付かない結果になることを恐れて)医療機関を受診し、そこで診断を受ける。この様にして診断されて初めて罹患した(罹患している)と確認される。通常の有病率はこの様にして罹患したと確認された者の(人口中の)割合である。
 いわゆるスクリーニング検査は、症状がない者(自発的に医療機関を受診しない者)を対象として、特定の疾患に罹患している(確率の高い)者を選び出すための検査である。検査で陽性になればさらに精密検査をして、そのうちの一部の者はその疾患に罹患しているという診断が確定される。これによって、検査(スクリーニング検査)を行わないために(症状を呈して医療機関を受診しようと考えるまで)患者(罹患者)と認識できない患者を患者と認識する(診断する)ことになる。
 ある集団で有病率を求める時、その集団に対してスクリーニング検査を実施しない場合より、実施する場合の方が(スクリーニングによって初めて発見された患者の分だけ)「観察される」有病率が高くなる。この差をスクリーニング効果と呼ぶ。ここで「観察される」有病率と殊更に言っているが、通常目に触れる値としての有病率はすべて観察される、あるいは観察された有病率である。概念としては(診断済みであるかどうかは別として、診断されていないものを含めて)疾病に罹患している者(有病者)が存在する。概念としてはこれらの者の人口中の割合が有病率である。しかし、診断するまでは有病を認識できないから、この様な有病率は概念として存在するだけで、実際に測定することはできない(絶対正確(診逃し:罹患を非罹患とする、診過ぎ:非罹患を罹患とする、が決して起こらない)な診断方法を適用、実行できればこれが測定できる)。実際に測定される有病率(観察される有病率)はこれとは別の値であり、その場合、スクリーニング効果が起こったり起こらなかったりする。
 
「同じ検査を同じ頻度で実施した時、初めて(真の)有病率の比較(どっちがどれだけ高いと論じること)が可能となる」
 福島県の子供(被災時18歳以下)に対して甲状腺超音波検査によるスクリーニング検査を行って診断される癌患者の受診者中の割合は、(当然)このスクリーニング効果を含んだ(受診者の)有病率である。無症状の者(不都合のない者)の検査を行わないので、そのような患者を認識することのない集団(原発事故にさらされていないためにスクリーニング検査を行わない集団)でこれまで(癌登録によって)確認された有病率(癌登録からは罹患率が出るが、その罹患率をもとにして有病率を推定する(方法は後述))と比較してその多寡を考える時、スクリーニング効果を考慮する必要がある。
 癌登録をもとにした国立がんセンターの罹患率の報告を見ると(2011年の罹患率)甲状腺癌の罹患者の癌発見経緯は、発見患者全体のうちの2.8%ががん検診、19.6%が健診・人間ドック、36.1%が他疾患の経過観察中、となっている。かなりの部分が上記のように症状が出てからの受診ではないことが分かる。症状がないのに検査をして発見される部分がスクリーニング効果であるので、癌登録から得られる罹患率もかなりの程度スクリーニング効果を含んだ罹患率であることになる(子供は通常、検診や人間ドックを受けることはないから、癌登録による子供の甲状腺癌罹患率はほとんどスクリーニング効果を含まないかも知れない)。しかし、癌登録による罹患率にスクリーニング効果が含まれているとしても全員に超音波検査をする福島県の子供の場合と、一部の(甲状腺検査をする)人間ドック受診希望者のみが検査される場合とでは、スクリーニング効果の程度(量)が大きく異なるに違いない。
 
罹患と有病
「罹患は変化、有病は状態、検査で分かる(診断する)のは状態」
 理念的に、概念としては、人はある時、ある疾患に罹患する。(判断、診断が難しいことがあるということは別として)概念として、人はこの疾患に罹患しているか(罹患)、いないか(非罹患)いずれかであって、中間はない(中間があると考えるなら、中間である、という診断をする。中間は非罹患とも罹患とも概念として区別する)。したがって、非罹患から罹患に変化する「時点」が(理念的には)あるはずである。しかし、これがいつであるかを判定するのは必ずしも簡単でない。「時点」は概念としては瞬間(長さ0)であるが、日の長さ、場合によっては年の長さであっても実質的意味が(大きく)ないことがある。
 
 診断とは(その時点で)疾病に罹患している、と判定するものであり、(いつ)罹患したかを判定するものではない。罹患していること(罹患している状態)を有病と言い、非罹患(罹患していない状態)から、罹患(罹患している状態)に変化することを罹患(する)と言う。常時監視しているというほとんどあり得ない状況を想定しない限り、いつ罹患したかを判定することはできない。(繰り返しになるが)診断とは(ある人の)罹患(への変化)を判定するものではない、(その時点での)有病を判定するものである。
 罹患した者(非罹患から罹患の状態に変化した者)はその後、治癒又は死亡するまで、有病(の状態)に留まる。有病の状態にある者を有病者と言うこともある。罹患者あるいは患者ということもある。
 (非罹患(状態)から罹患(状態)への変化を罹患と言うので、この変化を起こした者の数を罹患数、罹患者数と言うことがあるが、特に後者は有病者数を意味すると「誤解」され(し)やすいので注意が必要である。)罹患者と言うと有病者(罹患の状態にある者)と区別しにくい。相当の注意が必要である。
 
 ある時点で、ある疾患について検査をして非罹患であった者が(何日後か何年後かは別として)その後再度検査をして罹患(有病)と判定されれば罹患の「時点」は2つの検査時点の間である。罹患していることを心配しないために一度も検査をせずにいて、(具合が悪くなって)初めて検査をして罹患と判定されたら、罹患の時点はそれより前だと言えるが、どのくらい前かは分からない。
 例えばインフルエンザで、初めて熱が37℃(37℃でも38℃でも)を越えた日を罹患した日にしようとか、決めれば(この場合いつも体温を確認していれば)罹患の時点(日)を決めることができる。理念、概念としてこれが正しいということではなく、便宜的に定義して初めて決めることが可能になる。例えば(分かりやすくするために)喉頭癌と診断した時、「罹患の時点は初めて嗄声を自覚した日」と定義すれば罹患の時点が決められる。嗄声を自覚する前に喉頭癌の診断が付いてしまうことがあるならこの様な定義は役に立たない。(大抵の)癌の場合(他の多くの疾患でも)何らかの症状の自覚時点といった便宜的な定義を適当(適切)に作ることが難しいので、罹患の時点は診断した時点であると(定義)することが多い。この様な定義でも大抵、実質的に問題ない。
 
 福島県の子供(被災時18歳以下)に対して甲状腺超音波検査によるスクリーニング検査を行って診断される癌患者(有病者)の受診者中の割合は、「スクリーニング効果を含んだ」有病率である。こうして診断されたがん患者の罹患の「時点」は(原則的に)分からない。○年○月○日であることが分からないどころか、被災(過剰な放射線被曝)より前であるのか、後であるのかが、分からない。(被曝後の)有病率は被曝以前の罹患と被曝後の罹患両者の反映であり、被曝の影響は被曝後にのみ出る。
 
「罹患率と有病率との関係:有病率≒罹患率×(平均)有病期間」
 ある時点の有病率はそれ以前の罹患(率)の反映である。有病率はまた罹患後の有病期間(罹患から治癒又は死亡までの期間すなわち有病状態にある時間の長さ)の反映である。有病率はそれまでの罹患率と、それまでの罹患者の有病期間によって決まる。(ある集団の中の)ある時までの全ての罹患者について、いつ罹患し、それがその時までに治癒したか、死亡したか(罹患時点からその時までの時間がその患者の有病期間よりも長いか短いか)を確認することができれば、その時の有病者数が(きちんと)分かる(有病者数を人口で割ったのが有病率である)。ある集団(人口)の罹患しやすさ(罹患率)が(長期間)一定であり、罹患者の有病期間も(長期間)変化がない(罹患者1人1人の有病期間は当然異なる。ここで有病期間に変化がないというのは有病期間の平均に変化がないという意味である)場合、その集団の有病率は変化せず、一定の値になる。「有病率≒罹患率×(平均)有病期間」となる。
 
 福島県の子供(被災時18歳以下)に対して甲状腺超音波検査によるスクリーニング検査を行って求められた有病率が、通常の(被曝の経験がない)集団で経験されるだろう有病率よりも(被曝のために)高いかどうかを検討することができるものなら検討したい。癌登録から得られる罹患率に有病期間として2年、4年、または(十分長く、これ以上長いことはないととりあえず考えられる)6年を乗じて有病率を求め、それでも福島の有病率より低値である、という事実を示して、福島の子供に甲状腺癌が(被曝によって)多発していると判定することの弱点は、福島の子供で得られた甲状腺癌有病率にはスクリーニング効果が含まれることである。言い換えると癌登録から得られる甲状腺癌罹患率は症状を訴えない人については超音波検査を行わない場合の罹患率であり、これに(想定)平均有病期間を乗じて得た有病率も同様で、スクリーニング効果のない場合のものだということである。
 
「スクリーニング効果は早めに診断する効果だけではない。知らないうちに(症状が出ないで)消えてしまう癌、本人が死ぬまで症状を出さない癌が想定し得る」
 スクリーニング検査は症状出現前の患者を診断する、その分だけがスクリーニング効果である。これは本来もう少し時間がたってから(発症してから)診断される人を早めに診断するに過ぎない。したがって、たとえスクリーニング効果があるにしても、それだけでこんなに大きく(例えば2倍も4倍も)違うはずがない、という判断は納得されやすいが危うい。知らないうちに(症状が出ないで)消えてしまう癌、本人が死ぬまで症状を出さない癌が想定し得るからである。
 
 
過剰診断
「診断が過剰だという発想を、特に臨床医はしにくい。」
 通常は行わない検査を行うことによって何らかの疾病を診断(発見)し、その疾患に対する必要な治療を行った場合、もしその治療が役に立たない(又は有害な)ものであればこの診断をしなければ良かった(治療をしないで済んだ、害を受けなくて済んだ)ということになる。そのような時、この診断を過剰診断と呼ぶ。過剰診断によって行われた治療を指して過剰治療と呼ぶ。検査をしなければ過剰診断は起こらないのだから、(過剰診断となるような)検査はしない方が良い、ということになる。しかし、たとえ診断が付いたにしても(無益/有害であるなら)治療などしなければ良いのだから、過剰診断は常識的には考えにくい。そもそも診断は治療をするために行う。誤診をもとに余計な治療をすると言うならまだしも、(正しい)診断が過剰だ(ない方が良い)という発想を、特に臨床医はしにくい。
 スクリーニング検査をして(早期に)疾病(癌)を発見して、手術(治療)をしてもそれは有効でない。症状が出る前に検査をして発見されたような疾病(癌)は手術(治療)しなくても悪化しないし、自然に消失することもある。手術をすれば、その費用負担がある他、合併症という不利益をもたらす。これならこのスクリーニング検査は過剰診断だ、ということになる。このようなことは、通常、常識的には考えにくい。ところが、神経芽細胞腫では、これがあった。わが国では1984年以来、生後6〜7ヶ月の全ての乳児を対象に、尿によるマススクリーニングを行ってきたが、これが無効、不利益(過剰診断)であるとして2003年に廃止した。(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/08/s0814-2.html「神経芽細胞腫マススクリーニング検査のあり方に関する検討会報告書」について)
 癌とは別の原因で死亡した人を解剖してみると、甲状腺癌や前立腺癌がかなりの頻度で発見される。これをoccult cancer 潜在癌と呼ぶが、神経芽細胞腫と同様に、手術しなくても悪化しないのかも知れない。結果的に(死亡するまで)潜在癌は有害な作用をしなかったのだから、これら(の多く、結果的にはすべて)は生前にスクリーニング検査をして発見して手術しなくて良かった、もし手術をしたら過剰診断(過剰治療)であったと考えられる。
 
「過剰診断は必然的に過剰診療をもたらす。過剰診療が続かないなら過剰診断ではない」
 ここで、注意したいのは福島県の調査によって発見された子供の甲状腺癌(の多く)は摘出手術を受けていることである。(検査をすることによって)癌が発見されたら本人(親)に告知しないわけにはいかない。結果的に手術しなくても大丈夫(悪化しない、または消失する)となる可能性を(知っている限りいくら正確に)説明しても(あくまで確率の話であって、確実なことは言えない、この癌は危ないがこの癌は手術しなくても良いという判断が不可能なのだから)手術を選択することに(多くは)なる。(一部、手術しなければ将来悪化、進行癌になってしまうはずの子供が救われることもあるだろうが、定期的に検査を続ければ手術の実施以上に悪い結果になることはないとも考えられるし、)過剰診断が(多く)起こって、全体としては不利益の方が多い、ということになることが心配される。そんなことなら検査をしない(癌の存在を知ろうとしない)方針にする。この様な考え方は必ずしも不合理ではない。(「夕鶴」:見たくても、見ない方が幸せ、ということはある。)
 癌の専門家はできる限り感度の高い検査をして癌を発見し、(治療指針に従って必要と判断される)手術をする。過剰診断を心配する意見は、行われた手術が無駄、有害であるという可能性を指摘するものであるため、福島県の甲状腺疾患専門家には納得し難い(理解が難しい)。発見した癌一つ一つについて、それが悪化するのかしないのか、消失するのかの判定が確実にできないなら、(それでも癌があるなら発見して欲しいと言う親が多数存在し、それについては検査をするという選択しかないだろうけれど、少なくとも総体として)そのような癌は発見しない方が良いということは(福島県の甲状腺癌がそれにあたるかどうかの判断は保留するとして)あり得ることである。
 ただ、福島県の子供の甲状腺超音波検査で発見される甲状腺癌は過剰診断(が多いの)だから、超音波検査をしない方が良い、検査をしないことにする、とした場合、その方が(過剰診断が避けられて)子供のためになる、という可能性はあるが、その場合、放射線曝露による過剰の甲状腺癌発生の目に見える証拠は確実に得難くなる
 
死亡時甲状腺癌(occult cancer)有病率についての文献
(Occult thyroid carcinoma:J Boucek, J Kastner, J Skrivan, E Grosso,1 B Gibelli,1 G Giugliano,1 and J Betka、Acta Otorhinolaryngol Ital. 2009 Dec; 29(6): 296?304.
PMCID: PMC2868203
The first papers reporting thyroid cancer, usually found at autopsy date back to the middle of the last century. The patients did not have any clinical symptoms during their lives 13. The same methodology has been updated since then in several autopsy studies across the world 12 14?19 42?50 and autopsy prevalence of thyroid carcinoma (or microcarcinoma) has been reported ranging from 0.01% in USA 16 to 35.6% in Finland 15. This enormous difference might be explained by genetic factors, environmental factors and methods used for histological examination.
 
16. Fukunaga FH, Yatani R. Geographic pathology of occult thyroid carcinomas. Cancer 1975;36:1095-9.
 
(Geographic pathology of occult thyroid carcinomas.:Fukunaga FH, Yatani R. Cancer. 1975 Sep;36(3):1095-9.
Abstract
Thyroid glands obtained from patients in southeastern Canada, northeastern Japan, southern Poland, western Colombia, and from Japanese living in Hawaii were serially step-sectioned and examined microscopically using identical techniques and diagnostic criteria. The prevalence of occult papillary thyroid carcinoma was significantly higher in Japan (28.4%) and in Hawaiian Japanese (24.2%) when compared with Canada (6%), Poland (9.1%), and Colombia (5.6%). The carcinomas were all papillary except for a single follicular lesion from Colombia. There was no significant sex prevalence. Most of the patients were between 40 and 79 years of age, but there was no particular predominant decade. Only the Colombian series had a large number of younger patients, and they showed a slightly lower prevalence of occult carcinomas before age 40. Most papillary thyroid carcinomas grow slowly and probably remain occult for the life of the patient.
 
スクリーニング効果と過剰診断
 スクリーニング効果はスクリーニング検査によって余計に患者が発見されること、これによる有病率の上昇部分を指す。過剰診断は、しない方が(余計な治療を避けることができるから)良い(全体のためになる)診断(をすること)で、両者の意味は(まったく)異なる。スクリーニング効果でその分余計に発見された患者すべての診断が過剰診断であるのではないし、スクリーニング検査をしなくても、余計な治療は行われることがある。しかし、「過剰診断」の意味を理解せずに治療を行っている状況、あるいは「過剰診断」の可能性の程度を適切に評価できずに治療を行っている状況においては、「過剰診断が起こるからこれを避けるためにスクリーニング検査を行わない方が良い」という意見は正当性を持ちうる。
 
「福島県の甲状腺癌専門医は自家撞着の危機にある」
 福島県の甲状腺癌専門医は自家撞着の危機にある。@事故による放射線曝露によって(こんなに早く)癌が増えたはずがない。Aこれまでになく多くの癌が見つかった。B診断した癌はこれまで採用してきた治療指針に従って治療(手術)する。これは適切な治療であり、過剰診断、過剰治療ではあり得ない。Cこれまでになく多くの癌を手術した。
放射線の影響でなくて、過剰治療の結果でなくて、何故手術の数が増えたのか、これが説明可能か。
「福島県で観察された有病率が高い理由のひとつはスクリーニング効果、この他被曝による過剰発生も理由のひとつなのかどうかこそが問題。過剰診断があるかどうかは放射線影響とは無関係」
 ところで、福島県「第19回「県民健康調査」検討委員会(H27.5.18)」に提出された「甲状腺検査に関する中間取りまとめ」(平成27年3月福島県県民健康調査検討委員会甲状腺検査評価部会)の記述http://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/115335.pdf では、「平成23年10月に開始した先行検査(一巡目の検査)においては、震災時福島県にお住まいで概ね18歳以下であった全県民を対象に実施し約30万人が受診、これまでに112人が甲状腺がんの「悪性ないし悪性疑い」と判定、このうち、99人が手術を受け、乳頭がん95人、低分化がん3人、良性結節1人という確定診断が得られている。[平成27年3月31日現在]」としたうえで、「こうした検査結果に関しては、わが国の地域がん登録で把握されている甲状腺がんの罹患統計などから推定される有病数に比べて数十倍のオーダーで多い。この解釈については、被ばくによる過剰発生過剰診断(生命予後を脅かしたり症状をもたらしたりしないようながんの診断)のいずれかが考えられ、これまでの科学的知見からは、前者の可能性を完全に否定するものではないが、後者の可能性が高いとの意見があった。」としている。スクリーニング効果と言うべきところ、過剰診断と言ってしまっている。これは誤りである。前述のように「スクリーニング効果でその分余計に発見された患者すべての診断が過剰診断であるのではない」。「罹患統計などから推定される有病数に比べて数十倍のオーダーで多い」理由のひとつは間違いなくスクリーニング効果であり、もう一つ(の可能性)が被曝による過剰発生である、と解釈すべきである。ここでは過剰診断(無駄な、あるいは有害な治療)があるかどうかを議論する必要がないし、議論すべきでない。「過剰発生か過剰診断のいずれかだ」と言ってしまうと、過剰診断がないことを主張することが過剰発生であることを主張することになってしまう(福島県の甲状腺癌専門医の自家撞着の所以である。そのため、続けて「一方で、過剰診断が起きている場合であっても、多くは数年以内のみならずそれ以降に生命予後を脅かしたり症状をもたらしたりするがんを早期発見・早期治療している可能性を指摘する意見もあった」などと、わけの分からない言い訳をすることになってしまっている。過剰診断であっても過剰診断でないと言っている?)。 もう一点、「いずれかが考えられ、(中略)後者(ここでは過剰診断を指している)の可能性が高い」も誤りである。「両者が考えられ、後者(ここではスクリーニング効果を指す)は間違いなくひとつの理由である」とする。スクリーニング効果の存在を肯定しても、過剰発生を否定することにはならない。増加部分がスクリーニング効果だけで説明できるのか、過剰発生も含まれているのかを考えるのが、委員会の課題なのである。 
 
 上記のような甲状腺検査評価部会の見解が、何故出てきたのか検討してみた。この見解のもとになった意見は、第4回甲状腺検査評価部会(2014 年11 月11 日)の資料5「福島県における甲状腺がん有病者数の推計;津金昌一郎(国立がん研究センター)」であると解釈できる。ここでは「福島県において18 歳以下の甲状腺がんが100 人を超えて診断されている現状は、何らかの要因に基づく過剰発生か、将来的に臨床診断されたり、死に結びついたりすることがないがんを多数診断している(いわゆる過剰診断)かのいずれかと思われる。」「今回の検査がなければ、1〜数年後に臨床診断されたであろう甲状腺がんを早期に診断したことによる上乗せ(いわゆるスクリーニング効果)だけで解釈することは困難である。」と述べている。
スクリーニング効果:検査がなければ(○年後に)臨床診断されたであろう(甲状腺)癌(による上乗せ)
過剰診断:将来(的に)臨床診断されたり、死に結びついたりしない癌の診断
(ここで、臨床診断と言っているのは、症状が出て不都合を感じて医療機関を訪れて診断される診断という意味と解される)
ここでは、本論で定義したスクリーニング効果の中、将来臨床診断されるもののみをスクリーニング効果と呼び、将来臨床診断されないもののみを過剰診断と定義している。本論では、ここで言うスクリーニング効果と過剰診断の両者をまとめてスクリーニング効果と呼び過剰診断はスクリーニング効果の一部であるとしている。津金氏の定義は誤りであると(本論では)考えるが、それにしても放射線の影響を考える時、発見された癌が将来臨床症状を出すか、出さないか死に結び付くか付かないかは問題としないのが良い(放射線によって発生した癌があるとすればそれが症状を出すかどうか、死に結びつくかどうかは次の別の問題である)。津金氏はここで上の定義の過剰診断とスクリーニング効果の区別を論じているが、将来症状を出す(死に結びつく)癌かどうかは発見された患者をどう治療するか、治療が、したがってこの場合は検診が、有効なものなのか却って有害なものなのかを考えるためには問題となるが、放射線の影響かどうか(100人を超えて診断された現状の解釈)を考えるためには問題とならない。
 
過剰診断と過剰診療
これと同じ会議第4回甲状腺検査評価部会(2014 年11 月11 日)の議事録に次のような発言がある。
 
「過剰診断は必然的に過剰診療をもたらす。過剰診療が続かないなら過剰診断ではない」
津金昌一郎 部会員
・・・・無症状で健康な人に対するこういう精度の高い検査は少なくない不利益ですね。あの過剰診断、それに基づく色んな治療ですね。それから偽陽性者に対してもやはり0.8%が二次検査という話になりますけども、そういう人達に対しても本来必要のない検査とか心身への負担、それから一次検査自体もやはり基本的にはやはり不安になるということなので、まあ、そういう可能性をもたらす認識は共有しておいたほうが良い・・・・
渋谷健司 部会員
・・・・もしかしたらその今まで小児で無症状の方を今までは発見されなかったのに放っておけばもしかしたら何の害も無かったものを今回もしかしたら見つけているのかもしれないと。それが我々があのまず定義している過剰診断の定義であって、過剰診療とはまた違うということですね。過剰診療というのは目の前にある実際に診断されたものに対して不必要に過剰な治療をすると。それはもうガイドラインに沿わずに治療するとかですね、そういうことは我々一切申し上げてないので、まず過剰診療と過剰診断の違いを明確にしてほしい・・・・
 
津金氏は過剰診断が(それに基づくいろんな治療があるから)不利益、と言っている。その後で、渋谷氏は過剰診断と過剰診療は違う、として過剰診療はガイドラインに沿わない治療だ、と言っている。「違いを明確に」と言っているが見当違いである。過剰診断をしてしまうと、そしてガイドラインに沿った治療をすると、過剰診療になってしまう、これが(津金氏が指摘する)問題なのである。渋谷氏は過剰診療>過剰診断が臨床家に与える悪感情を緩和しようと考えたが、失敗している(理屈になっていない)。過剰診療が伴わないなら、過剰診断の不利益は大したことではない。(こう言って語弊があるなら)問題にしている検診の不利益は、主に過剰診断に(必然的に)伴う過剰診療である(と言うのが良い)。渋谷氏が「もしかしたら」を3回も繰り返しているのは、この辺りについての自身の曖昧さを(非自覚的に)反映しているのかも知れないと言うのは穿った考えか。「皆さん(臨床家)がやってる診療が過剰だと言ってるんじゃありませんよ、診断が過剰なだけなんですよ、診断された癌の診療は適切にやっていただけば良いんですよ、」と言えばごまかせると考えているらしい。
 
 
福島県健康調査専門委員会の見解について 補遺
 専門委員会は、健康調査による甲状腺癌検査の結果の解釈について、これが放射線曝露による多発であるとは考えない(考えにくい)とし、理由として
@放射線による甲状腺癌の潜伏期(放射線曝露から発病までの期間)は長い(4〜5年程度)ので、現在までに発見された癌は放射線の影響ではない。
Aスクリーニング効果がある。
B福島の被曝はチェルノブイリの被曝よりも格段に少ない。このレベルの被曝で発癌しない。
C(福島県内の)地域別被曝量と癌有病率との関係が少ない(ない)。被曝量が高い地域で有病率が高いという関係が認められない。
があげられている。
「これまでの知識から福島を解釈するのか、福島から知識を得るのか。」
 これまで(調査以前)に知見が得られているにしても、そこから演繹的に福島での健康影響を(推測するのは結構であるが、)結論するのは頂けない(科学的態度でない)。調査の結果から何を考えるか、どう解釈するかが専門家に期待されることであり、調査以前に分かっていたとされる「専門家の知識」から演繹されることを調査結果の結論にしてはならない。@Bはこれにあたる。福島県の調査結果に基づいて、むしろそれ以前の知識を変更する可能性をこそ、専門家は認めなければならない。@チェルノブイリの結果がどうであっても潜伏期間がより短い癌があり得ないことを示さない。B少ない被曝で発癌しないと決めつけられない。それに、福島の被曝特に(甲状腺癌に関連する)内部被曝がどれほどなのか、そんなにきちんと確認されていなそうである。Aスクリーニング効果はある。だからといって増加分のすべてがスクリーニング効果で説明できるかどうか、何の根拠も得られていない。Cについては結論には早すぎで、今後関係が認められるかも知れない。
 
「(福島で、放射線の健康影響は)ないと言ったら嘘」
 ところで、そもそも、一般論として、何であっても、何かが(例として福島県での被曝と発癌との関係が)「ある」ことは結論できても、「ない」ことは証明できない。「ある」という根拠が示されないからといって、それは「ない」ことの根拠ではない。見つからない、見えないというだけのことである。
 100ミリシーベルト以下では明らかな健康影響が認められないとしても、だからといって「100ミリシーベルト以下なら健康影響はない」と言ってしまったらそれは誤りであり、故意であるなら虚偽である。福島県でどのような調査をしてもどんな結果が得られても、結論が「健康影響はなかった」であるならそれは間違いである。「健康影響は認められなかった、確認できなかった、見ることができなかった」と言わなければならない。
 現段階で予断するべきではないだろうが、健康影響があっても見えない、見えなかったという結果になることは大いに考えられる。
「あるものが見えるかどうかは見方次第。不十分な方法ではあるものが見えない」
 「ある」ものを、あると認識する、見ることは、いつも簡単であるとは限らない。見えにくいものが「ある」。被曝の健康影響は、特に低レベル被曝の健康影響は、見えにくい。見るためには相当の努力が必要である。福島で、特に被曝量の評価(1人1人の被曝量を推定すること)が十分行われていない。内部被曝量の評価が行われていない。不十分な方法で見えないからといって、「ない」と言うことは二重に(十分優れた方法で見えなかった時でも許されないのだから、不十分な方法だったら余計)許されない。