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戦争は有罪であり、落書き青年は無罪である。
最高裁判所の不当判決を弾劾する声明
 
・2006年1月17日、最高裁判所は無罪判決を求める杉並区民の男性の上告を棄却 し、「反戦落書き」への建造物損壊罪の適用を求めた国の主張を擁護した。この 棄却をもって青年への懲役一年二月(執行猶予三年)の刑が確定した。

・刑の執行は三年猶予されるという。しかしこれは戦争を憎み、廃絶しようとす る者への実質的な「刑罰」である。司法は、戦争をする政府の下で、イラク戦争 が開始された2003年3月20日から今日に到るまでと同じ月日を、下獄への圧力と ともに生きることを青年に強いたのである。

・私たちは、司法が下したこの恥ずべき不当判決を絶対に認めない。イラクで数 十万人の人々が殺害されはじめていた2003年4月17日、杉並区の児童公園のトイ レの外壁に戦争反対などと描いた青年の行為に、私たちは何ら罪を認めることが できないからである。

・いったい罪とは何か。人を虫けらのごとく踏み潰し、家屋から追いたて、築き あげた生活を奪い、絶望に追い込む行為を差し置いて、いったい何を罪と言えば いいのか。44日間の勾留によって青年の住居を奪い、路頭に迷わせた罪は誰が贖 うのか。わたしたちには戦禍に晒されること無く生きる権利がある。それは自ら の政府が参戦するとき、国策に抵抗することで担保される。不当に有罪をくらっ た青年は、彼なりのやり方でこの権利を行使し守ろうとしたのである。これを誰 が指弾できるのか。

・考えてもみよ。戦争は生きてよい人間と生きなくてもよい人間を選別すること である。米軍はファッルージャ、サマッラを包囲し、市民をテロリストとその協 力者、生きなくてもよい人間として選別し殺害した。マドリッド、ロンドンの市 民は、イラクでの殺戮を支える者として選別され爆破された。この選別の特権は 軍や戦闘員に指令できる者だけが享受している。だから戦争を止めようとするこ とは絶対に正しい。戦争を支えるくそったれの社会を告発することは、イラク数 十万の人々の生のみならずこの社会に生きるすべての人の生を無条件に擁護する ことなのだ。

・これに優越して保護すべきは、焼かれ殺され虐待される人間の嗚咽と呻吟をテ レビ画面に閉じ込め、公園でほのぼのと排便する権利ではあり得ない。そもそも 排便の権利は侵害されてすらいない。「殺せ!」と大書きされていれば便意も萎 縮しようが、反戦を訴えるメッセージに、戦争犯罪人でもない者がなぜ怯むこと があるのか。戦争犯罪人の排便権すら擁護しようとするなら、わかば児童公園の 使用を遠慮してもらえばすむはなしである。

・有罪は、落書き青年に宣告されるべきものではない。イラク戦争の遂行によっ て人々を殺害し、彼らが築いた数々の建造物を損壊し、尊厳と暮らしを奪った者 たちにこそ宣告されなければならない。裁かれるべきはブッシュ、ブレア、小泉 である。

・戦争は、それを担った権力者たちの内省の末、彼らが自らの過ちに気付くこと によって終わるわけではない。世論調査やネット投票、街頭投票などで反対意見 が多数を占めることによって終わるのでもない。反戦を叫ぶデモが街路を席巻 し、何十万の声明やビラが人々の手を行きかい、街の風景が一変することによっ て終わるのだ。青年の「反戦落書き」はその変化に期待し変化を担おうとするものであった。

・これから三年にもわたる執行猶予期間が始まる。刑期よりも長きにわたる間、 青年は常に下獄の脅迫に晒された生を強いられる。この生を生きるのは彼でしか ないが、せめて私たちは仲間として青年を下獄させんとする権力の介入を遠ざけ よう。そして、戦争を支える社会の風景を一変させる行動を作っていこう。

2006年1月25日
海外派兵をやめろ!戦争抵抗者の会
 
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